医師と言えども転職が当たり前の時代になってきました。その理由は様々ですがやはり、「これからのキャリアプランを考えて」、「年収をもう少し増やしたい」、「仕事に忙殺されていて、もう少し自分や家族との時間がほしい」と言った、誰もが納得できる理由が多いように感じます。一度しかない人生ですから、悔いのない生き方・働き方を選びたいものです。転職に悩んでいる先生方か、ぜひ素敵な仕事・職場にめぐり合えることを祈っております。
・医師が心身ともに健康に働くための10の条件/9.患者教育で医療を救う(1) 医療にかかわる関係者のなかで、もっとも変わらなければいけないのは、患者ではないかという気がしています。 爪が割れたなど、非常識な理由で救急車をタクシー代わりに使う軽症患者や、外出のついでに夜間小児救急を受診する親子等、本来は救急で対応する必要のない受診が、医師の時間外労働や心身の負荷を増やしています。 また、医療に過度の安全や効果を求める患者の要求や、医師に対する不信感などが、医師の大きなストレスになっているのも確かです。 従来の医療のなかでは患者=弱者であり、いたわり守るべき存在でしたが、その構図は、現在では必ずしも当てはまらなくなっています。 こうした「困った患者」を減らすためには、国や行政による組織的な患者教育も必要だと思われます。 しかし、日々患者に接している個々の医師にも、患者の行動を変えていくチャンスはあるように思えます。 医師が積極的に情報を発信していくことで、患者も変わる。その好例といえるのが、医療崩壊しかけた小児科を救った市民運動「県立柏原病院の小児科を守る会」の存在です。 この会が発足した経緯とその後の影響について、少し紹介してみます。 2006年当時、兵庫県の丹波地域の基幹病院であった県立柏原病院・小児科は、医療崩壊の危機に瀕していました。理由は、患者の専門医志向が高まり、夜間の救急対応で小児科医に患者が集中したことにあります。 小児科医は宿直担当日以外にも夜間のオンコールが続くようになり、激務に耐えかねて辞職していく医師が続きました。 当初は、地域内の他の病院と協力して小児救急を輪番制にし、人手不足に対応していましたが、周囲の病院でも研修医の引きあげや人事異動によって小児科医がいなくなり、ついに丹波地域に小児科医が一人という状況にまで追い込まれてしまいます。 ただ一人残った小児科医の和久祥三医師は、県知事や病院協会、地元医師会、病院管理職などに窮状を訴えましたが、そこでも反応は薄く、事態改善につながる動きは見られません。 そこで2007年3月に地元の丹波新聞に「もう無理だ」という心情を吐露、危機の現状と自らの辞職の意向を記事にしてもらうという行動に出ました。 この記事に反応した地元の母親たちによって立ち上げられたのが、「県立柏原病院の小児科を守る会」です。母親たちは、柏原病院に常勤小児科医を招聘するために署名を集めて県庁に提出。 さらに、医師にとって働きやすい場をつくることで小児科医を確保しようと、一般市民に向かってアプローチを始めました。柱となったのは、次の三つのスローガンです。 (1)コンビニ受診を控えよう (2)かかりつけ医を持とう (3)お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう <続く> 医師転職支援会社を調べてみたいと思ったら >>>医師転職サイト比較ランキング+口コミ評判
・医師が心身ともに健康に働くための10の条件/9.患者教育で医療を救う(1)
医療にかかわる関係者のなかで、もっとも変わらなければいけないのは、患者ではないかという気がしています。
爪が割れたなど、非常識な理由で救急車をタクシー代わりに使う軽症患者や、外出のついでに夜間小児救急を受診する親子等、本来は救急で対応する必要のない受診が、医師の時間外労働や心身の負荷を増やしています。
また、医療に過度の安全や効果を求める患者の要求や、医師に対する不信感などが、医師の大きなストレスになっているのも確かです。
従来の医療のなかでは患者=弱者であり、いたわり守るべき存在でしたが、その構図は、現在では必ずしも当てはまらなくなっています。
こうした「困った患者」を減らすためには、国や行政による組織的な患者教育も必要だと思われます。
しかし、日々患者に接している個々の医師にも、患者の行動を変えていくチャンスはあるように思えます。
医師が積極的に情報を発信していくことで、患者も変わる。その好例といえるのが、医療崩壊しかけた小児科を救った市民運動「県立柏原病院の小児科を守る会」の存在です。
この会が発足した経緯とその後の影響について、少し紹介してみます。
2006年当時、兵庫県の丹波地域の基幹病院であった県立柏原病院・小児科は、医療崩壊の危機に瀕していました。理由は、患者の専門医志向が高まり、夜間の救急対応で小児科医に患者が集中したことにあります。
小児科医は宿直担当日以外にも夜間のオンコールが続くようになり、激務に耐えかねて辞職していく医師が続きました。
当初は、地域内の他の病院と協力して小児救急を輪番制にし、人手不足に対応していましたが、周囲の病院でも研修医の引きあげや人事異動によって小児科医がいなくなり、ついに丹波地域に小児科医が一人という状況にまで追い込まれてしまいます。
ただ一人残った小児科医の和久祥三医師は、県知事や病院協会、地元医師会、病院管理職などに窮状を訴えましたが、そこでも反応は薄く、事態改善につながる動きは見られません。
そこで2007年3月に地元の丹波新聞に「もう無理だ」という心情を吐露、危機の現状と自らの辞職の意向を記事にしてもらうという行動に出ました。
この記事に反応した地元の母親たちによって立ち上げられたのが、「県立柏原病院の小児科を守る会」です。母親たちは、柏原病院に常勤小児科医を招聘するために署名を集めて県庁に提出。
さらに、医師にとって働きやすい場をつくることで小児科医を確保しようと、一般市民に向かってアプローチを始めました。柱となったのは、次の三つのスローガンです。
(1)コンビニ受診を控えよう
(2)かかりつけ医を持とう
(3)お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう
<続く>
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